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Torus-Torus-Torus

回転する円環の中で。たとえ緩やかなメールシュトロームの底でも。

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哲学

世界の責任のなさ
世界は常に影響を存在に与え続ける中で、責任を敷衍しながら解除し続けている。
一存在に責任が無限にやってくる中で最早責任は存在しない。
責任とは根拠であり、現象の核であるが、その核はまた無限の現象の核の破片が堆積したものである。故に時空間を超えているがために根拠は誰にもわからないように、存在に対して閉じられている。何処に巻き戻しても始まりにたどり着かない。
存在は誕生した瞬間に、誕生する前から世界から決定されているが、それに対して存在の根拠は存在対しては隠されている。故に人間の性が非選択性、偶然性、可能性として生を受けることであるがゆえに、常に世界からの受動態としての存在であるために、人間の生はどこまでも自由であってよい。何処までも一存在を咎めるということが出来ない。つまり、世界の責任は個人の責任であると同時に、個人の責任は世界の責任という形で責任は解除され続けている。
つまり存在は、私に責任はないということであると同時に、世界の責任でもないという両極の間で引き裂かれている。生は可能態そのものである。世界は生、沈黙、死すらも正しさの中の事象である。
世界はそもそも必然に立脚しているが存在の側は偶然性を見ることしか出来ない。

 

永遠は虚無であるか。

存在の正しさは、生でも死でもなく、誕生以前にある。

永遠虚無は生でも、死でもなく、誕生以前にある。

 

存在することの提示性、拒絶性が存在の責任のなさと対立する。

私の知っている数少ない言葉、私の知らない膨大で無数の、借り物の言葉を、意味以前の永遠に、虚無に還すには。

意味とは責任である。

故に意味を解除する必要がある。

意味以前に還る方法。

可能性とは最も屈辱的な希望である。

意味の解除は存在の停止には存在せず、世界の停止にある。