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Torus-Torus-Torus

回転する円環の中で。たとえ緩やかなメールシュトロームの底でも。

断片的小説

短編

 十月の夜、この街は強すぎる街灯の光で活気にあふれていたが、それとは対照をなすように、家を失くした死体の群れ達の顔、刃物で切り取られたように痩せこけた頬は影を作りながら騒がしく行進を続けている。街のシンボルである時計塔の針は規則正しく動いていたが誰にも気づかれずに時間を失っているようだった。私はあの晩、一羽の巨大な鳥が時計塔の盤の中心に、嘴を突き刺しているのを見た。

 私は家へ帰るとあの時計塔の見たのと同じような鳥が、壁一面に嘴から突き刺さっていた。だが、あの時計塔のよりもずっと小さな鳩だった。私は何となしにその羽を撫でてみた。このまま摩っていれば灰のようになって消えるかもしれないと続けてみたが駄目だった。私は取り敢えずリビングのソファに腰を下ろし、テレビを付けた。通販番組だった。司会の男が掃除機を片手に話していた。「よくゴミが取れますね!この吸引力なら私の心のゴミも吸い込んでくれそうだ。」傍らにいた若い女性が苦笑いを浮かべながら頷いていた。私は段々と腹が立ってきたので、テレビを消して、風呂に向かうことにした。

着替えとタオルを大事そうに抱え、廊下を進み、風呂への角を曲がる。風呂場へ着いた私は、久々に湯船に浸かろうと考えた。上に乗っかった蓋を上げた瞬間、先ほどの鳩がぎっしりと湯船を満たしていた。「なんということだ。何処も畏も鳩だらけ。私の目の中に鳩でも詰まっているのかな。」私は裸のまま、風呂場をウロウロと円を描くように反時計回りに歩いた。三十周くらいしたところで目が回り、気分が悪くなって止めた。そうといって風呂に入らないわけにもいかない。明日は街が待った休日であり、私が好意を抱いている女が自宅に遊びに来るのだ。取り敢えず浴槽は諦めてシャワーを浴びることにした。

翌晩、彼女は私の部屋に訪れた。着いて早々、私は疲れてしまったわ、と呟いてソファに座ったかと思えば、直ぐに寝てしまった。私は冷蔵庫にあった、血のような安いワインを手に取り、冷蔵庫の上に置いて、換気扇を回す。それらを胃に流し込みながら、煙草に火を付けようと銀色のジッポーを手に取り歯車を回転させたが、火は着かなかった。どうやら石が切れたようだった。この部屋にあんなに転がっていたはずライターは、部屋中を探してもすっかり見当たらなかった。。

私は自宅から歩いて5分ほど、近くにあるタバコ屋へ向かった。外へ出るとすっかり寒くなっていた。それもそうだ、十月はもう半ばを通り越していた。石を買い、ついでに煙草をもう一箱買った。帰ってくると女はまだソファで静かに煩く寝ていた。石を補充し今度こそ火を付ける。この長方形の箱に描かれた鳥を見て思い出した。全く同じ鳩だった。この鳩は永遠に落下し続ける。鳩にはこの「Peace」という文字が一つの壁によって隔てられている。つまりこの鳩には「Peace」が見えないのだ。鳩に見えているのは何れやってくる壁との衝突。死。見えない平和。永遠にやってくることのない平和。この鳩が落下し衝突する時、この壁を突き破るだろうか。いやそれでも鳩は平和を見ることなく死ぬ。例えこの壁を突き破ろうとも。ということは死こそが唯一の平和だ。永遠の平和。虚無かもしれない平和。ロングピースに点火された火は葉を灰にしたところで、フィルターに止められた。「Peace」の文字も象徴の鳩も焼くことはなかった。そんなことを考えながら女を眺めていると、女の手に物々しい黒い汚れを見てとった。私はそれを拭き取ってやろうと思った。ジャケットの内側のポケットから灰色のハンカチを取り出し手を伸ばした。女はちょうど、私がハンカチを女の手に触れる一つ手前で何かを思い出すように飛び起きて立ち上がり、そそくさとソファの後ろに回り込み、ソファの背もたれに片手を置いた。女は剣幕で私を睨んだ。するとどうしたことか、女の左目が飛び出した。目玉を繋いでいる、外眼筋はセバドウ病を通り越してゴムのように伸び、そのまま重力に負けながら放物線を描き、絨毯に着地したのだ。人間やろうと思えばなんだってできるのだなとひどく感心した。私はさぞ痛いだろうと思い、眼球を元に戻そうと試みることにした。素手で眼球に触れるのは失礼に当たる、紳士のやることではない、そう思った私は寝室のタンスから適当なハンカチを選ぶことにした。

自室へ戻り、どの柄のハンカチがよいものか、3分程悩んだが、水玉模様なら許してくれるだろうと確信し手に取った。はて、水玉模様の女々しいハンカチなど持っていただろうか。

急いでリビングに戻り女を見遣ったが、先程と何も変わらずただそこに立ち尽くしていた。私は証拠物件を取り扱う警官さながらの手つきでハンカチで摘まみ上げ、指紋を付けないよう拾い上げた。私は掌の上で目玉をじろじろと見回した。私の目と女の目があった。私の気分は一挙にひっくり返り、怒りが込み上げてきた。なぜ私が戻してやらねばならないのか。この目玉を証拠に交番とやらに届けるのだ。そして提訴だ。提訴。私はこの目に睨まれたのだから、それくらいの権利は私にもあるはずだと考え、ジップロックにしまうことにした。すると突然に家のドアが開いた。私の古くからの友人が息を荒げて立ち尽くしていた。なんでこんな時にあいつがうちを訪ねてくるのだ。タイミングという言葉を知らないのか。友人は大きな声で怒鳴るように喋りだし。「警察に言いつけたところで、どうなると言うんだい。君が背負っていた過去が何時その肩から滑り落ちてしまっていたのかを、君は答えられないではないか。交番に届出を出せば見つけて出してくれとでも思っているのかね。警官が道端に落ちた君の心臓を見つけたって、君にそれが帰ってくることはないよ。それどころか牢獄にぶち込まれるのは君のほうじゃないか。下らない。」彼はそれだけ言い残して帰っていった。全く下らなかった。彼の勇敢な行動は無為に終わったのだ。私はそんなことに構ってやる時間などないのだ。

とにかく続きだ。だが、袋に入れるためには目玉を繋ぐ、それはそれはよく伸びた筋肉が邪魔だった。これは切らなければいけない。すべてから切り離されたとき、そのときこそきっと、私のための革命が起こるのだ。目玉の付け根の筋肉を切断した。すると私の右目からポタポタと血が流れ出しているのを理解した。床に滴った血を見るために顔を下に向けると、私の右目はゆっくりと、音を立てて転がり落ちた。すると先程まで沈黙を決め込んでいた女が、「革命だ!」と叫んでドアへ向かって走り、大きな音を立てて弾かれるように家を出て行った。なんだ、私にも出来るのか。練習した覚えはないがいつの間にか出来るようになることも人間にはあるらしい。取り敢えず私は自分の目玉を拾い上げ元に戻した。別に痛くもそれどころか痒くもなかった。馬鹿馬鹿しくなった私は先程まで女が横たわっていたソファで寝ることにした。電気を落としたがソファの上は未だ温かく、夜よりも騒がしかった。

翌朝、酷い頭痛に襲われた。一昨日から理解する必要もないようなことばかりが起きていたので、これは全て夢だったのかもしれないと思った。取り敢えず昨日の朝には壁に突き刺さって居た鳩もいなかったし、浴槽にびっしりだった鳩も綺麗さっぱり居なかったのだから。切断した目玉も見当たらなければ、私の目玉もいつも通り。このソファの温かさも、女のものか自分のものかも確認する術はないのだ。

 

 

喫茶店へ入る

店内へ入り私は珍しく入口手前の席に腰を下ろし、店員が来るのを待たず、鞄の中に手を入れた。すると直ぐに暗い鞄の中から本が私の手を強く掴んだようだった。買ったばかりだったはずなのに、鞄の中で揺られ、書店の薄茶色のブックカバーは、転がったむき出しのペンに角を取られ、ボロボロと剥がれ落ち、活字は鞄の中に散らばっていた。いつもそうだった。店員がやってきて、透き通ったグラスに水と灰皿をできる限り、ゆっくりと置いた。私はアイスコーヒーを頼んだ。外は呆れるほどに暑く蝉が往来に転げ落ちていた。この席から見えるのは左に少しだけ小さな窓、そこから見える外の世界は縮小されたなんとも愛おしい世界だ。そこからは一本のなんともか細い電信柱が見える。一瞬、紺色の外套を着た青年がその窓と私の視界を横切ったような気がした。こんなに熱いというのに何をそんな。するともう一度通りすぎたはずの紺色の外套が戻ってきた。すると外套は電柱の前に立ち尽くし、直ぐに二,三歩下がると電柱に飛びつき抱きしめた。「大好きだ、大好きだった、」と泣き叫びながら告白をしていた。それから直ぐに外套は歩き去っていった。勇気ある英断だった。私はすっかり目と耳を奪われ少しだけ彼の気持ちがわかるような気になった。店内の奥から店員がアイスコーヒーを運んだ。火の付いていたはずの煙草は灰皿の上ですっかり形を変えていた。

 

淋しがり屋の砂時計は

自ら反転し

再び時を数えてしまう

 

と読んだところで、年の若い男女が店の扉にかけられた鈴を揺らし、音と共に店内へと吸い込まれた。男は何かに配慮するように、転げ落ちそうなほどに眼を見開いて店員やら座っている客を見渡していた。男は店内の電球を睨みつけたあと男は先に席を選んだ。男は私の方を見ることができる場所、私から見て奥の壁側の席に、女はその向かいの席に座った。男はあっさりと女からその男以外の視界を奪い、まるでこの世にはその男しか存在しないかのように、彼女から世界を隠してみせたのだ。私は再び詩に目を落としていた。疲弊した今にも溢れそうな目を、右側の大きな窓の外に投げた。小さな窓の隣には絵画、壁に掛けられている。暖色の照明が大きな窓ガラスを越えてコンクリートの建物の壁に風景画を埋め込んでいた。不意に前方に座っていた男と目が合う。私は直ぐに本に目を落とし、何かに急き立てられるようにページをすすめた。

 

傲慢な紫陽花は

華やかな造作に

跳ね返る色彩で

形象の鮮やかさを隠す

物憂げな表情で

全ての暴露を待つ

あの女のように

 

正体のわからぬ黒い影に、遂に追いつかれ、手を捕まれた気がして我慢がならず、本を鞄の中に投げ入れ席を立った。すると再びあの男と目が合い、先程と同じ表情で左の口角を上げていた。私は店を出ていた。

 

 私は市営の地下鉄へ向かっていた。くたびれた体を引きずり、吸い込まれるようにこの街の地下へと結ぶ階段を下りていった。改札を潜り更に下へ下へと階段を下りていく。漸く最後の段から足を下ろし地下鉄のホームに辿り着いた。丁度列車がホームへ滑り込み、規則正しく停車した。扉が開き私は直ぐにホームを跨ぎ、車両に身体を乗せた。発射のブザーがなると、ハイヒールの音を響かせて、階段を駆け足で降りてくる。彼女はこの列車に乗ることができるだろうか。音のすぐ後ろ、少女は階段から足を覗かせてホームへ向かってくる。ホームへ足を着け、走って車両を目指した。車両の三メートル手前で彼女は足の向きを変えてホームの壁に置かれた、自動販売機につま先向けた。財布を取り出したところで車両の扉が閉じた。少女は意図も簡単にこの時間というやつを引き伸ばしてみせた。

 

 

隣町灰色の陸橋の下、川沿い

「何故、浮浪者が橋の下を好むのかといえば、人目の届かぬ場所であるからである、というのでは回答にはならないだろう。まぁ、回答にならないといえば言い過ぎだが、十分ではないだろう。僕はこれに対する一つの提案をしてみたいと思う。橋を渡る者の目的は、或る場所へと移動するためである。其処には行き先がある程度決まっていて、此方側ではなく橋の向こう側で、或る彼岸である。人間が其処へ移動するには、その橋がなければ不便であり不都合が生じているから、それで橋が存在している。橋はその下に在る不都合を、空間を縮約する。その下で浮浪者はいつでも世界の反転を祈っている。彼らの居る場所が橋の上になり、我々が居るのが橋の下になるように。平和はいつでも戦争で、戦争こそが平和だった。決して朝から夜になるのではなかった、其処ではいつも夜から朝がやってきた。浮浪者は常に家の中に存在し、住所は遍在している。彼らの存在根拠は世界である。そして人々が橋を渡るのとは違った風に、そう、浮遊するように、彼らは歩くまでもなく、何時でも既に目的地である。橋を渡るものは橋の真下を見ることができない。見るのは橋の向こう側であり、橋の上から見渡せる"風景"だ。しかし、浮浪者は風景ではない。何時もその下に見えないように存在している隠された存在なんだよ。」女は、「まぁ、見窄らしい負け犬の遠吠えみたいね。だからなんだって言うのよ。」私はがっかりした。どうしてこんな簡単な悲しみも分からないのか。そう思いながらなんとか回復を試みようと続けた。

 

最終列車。

草臥れた私は長椅子に腰を下ろした。目の前の座席の人の脚を眺めていると長椅子の下の空間に仰向けになっている男を見た。最近はあそこの空間も世間に許されるようになったのだなと感心した。そうすると私の足元に目を投げるとやはり女が仰向けに横たわっていた。耳を立てるとその男女が人目も気にせず会話をしていた。男は「愛しているよ」と言った。女が囁くように「私もよ、愛している」と男に続いた。女は不安気に「このまま、私たちは何処に行くのかしら」と男に訪ねた。「このまま列車は終点を通り越して、明日に向かうのさ、このまま乗っていれば明日に辿り着くのさ。」女は鮮やかな笑顔を取り戻した。そうこうしている間に、レールの終わりに向かって緩やかに、車輪は回転を止めた。私は二人の行く末が気になった。電車から降り、ホームから眺めた。改札へと駆け上がってゆく乗客を他所に二人はその場から動かなかった。車内の点検のためにやってきた駅員が迷惑そうに「またロマンチストか、終点は此処なんだよ。いい加減、帰りなさい。」そういって首からぶら下げたホイッスルは吹かれた。澱んだ灰色を貫いて、男と女、ロマンチストを吹き飛ばした。