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Torus-Torus-Torus

回転する円環の中で。たとえ緩やかなメールシュトロームの底でも。

2016-8-29

哲学

 

存在者は忘却<埋葬-再生>を根源に生きている。生きることは皮膚を垢で隠し皮膚に亀裂を入れ、日々自己を埋葬-再生することでしかない。再生は埋葬のエネルゲイアとして、埋葬は再生のデュナミスとして、或いは埋葬は再生のエネルゲイアとして、再生は埋葬のデュナミスとして。

忘却の埋葬性は能動的受動的を超えて常に存在者に纏わり付いている。エネルゲイアは引き受けがたいこのデュナミスをなお引き受けざるを得ない。

 

果たしてデュナミスとエネルゲイアはどう区別するのか。何が区別するのか。

 

存在者の自由は予測があくまでもデュナミス-エネルゲイアに留まることにしかない。それは死をもってしても同じことである。神に予測は存在しない。予測すらエンテレケイアとして常に充足している。神は常にエンテレケイアとしてしか在ることが出来ない。

 

メモ

極限的に作家の野望は作品から作家自身を消し去ること。更に意味以前のものとして、巨大な地図のようにいかようにも取れる可能性を露出させること、無限の情報として読者の目の前に提示したとき、もう一つの現実として読者は読解作業を始める。或いは世界の横に世界を置くこと。現実的というのはある意味では無限の情報(現実的意味以前)を世界の傍らに置くこと。

 

デュナミス-エネルゲイアの境界は消え去る。

 

さりとて、またしても再生される。