特に意味はない

 雑記

 

書きたいという欲望だけが先行する。書く事もない。

見たい感動もなければ聞きたい感動もない。

嘘だね。

行きたい場所はあれど、行ける場所ではなく、

逢いたい人がいれど、逢える人でもない。

新しい五感を探している。新しい芸術或いは新しい感動の仕方。

独りでいることだ。なるべく。

 

大型連休だ。

喫茶店にはいつもと同じ人がいる。いつもと違う人がいる。

会話は圧縮された空間に吸い込まれ破裂する。

言葉は錆びた鉄になり、叩いても鳴らない。

 

 

ファサード】:街を形成するもの全て。

        視線の最初の到達地点。

        それ以降、決して目の前に現れることのないもの。

 

視線は慣れ親しんだ外貌に留まることができない。

視線は物体の外貌を貫き意味へと刺さる。

 

生活が見えないのと同じように。

空でいえる詩は?

デザインとは外貌の話で済むものではない。

文体とは意味であるように、

慣れ親しんだ街を歩き、外貌に驚くのは難しい。

使い古されたものを新品のように再生させる力が失われていく。

たしかアンディ・ウォーホルは「外と内の反転。」

「意味が消え去るまで繰り返し同じ映像を見ることが好き」

というようなことを言っていたようなと思い出す。

 

見ることも終わってくれず、聞くことも終わってくれない。

マテリアルだけが勝手に終わっていく。

外貌を見ているのではない。

外貌を聞いているのではない。

そうすることは出来ない。

 

外貌は最初からファサードに塗れているものとしてしか存在していない。

誰一人として外貌それだけを見たことがない。

外貌は、ファサードは既に意味になってしまった。

 

見慣れているのはコーヒーカップではない。

見慣れているのは喫茶店ではない。

見慣れているのはこの街ではない。

物は絶えず初めてそこに存在している。

それと同じように、僕は絶えず初めてそこに存在しているだろうか。

僕は僕に見慣れてしまった。

僕を見慣れた僕というのは誰なのか。

ファサードは僕が変えるしかない。

ファサードは意味である。