京都0815_16_17_2017

 

【京都】

 

※はじめに

3日分まとめて書こうと思っていたが長くなり体力が尽きたので、

途中ながらアップロードすることに。初日分。

残りの二日分はこの頁に加筆・修正していきます。

こんなことをしていたら連休が終わってしまう。。。。つらい。。。。

 

【現状】_2日目途中_最終更新_22:19

0820_21:45【】現在書いておりますが、連休が潰える明日からのすべてが嫌すぎて京都に帰りたい故かただただ記憶が遠くなる故か感想が雑になっていく。

 

 

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2017年 8月15日

人生初の京都。 

新幹線で京都へ向かう。

駅に降りて、京都を見つけるのにかなり時間がかかった。

新幹線を降りて駅の構内を出たのは八条口だった。八条口に降りて、あれ京都ってこんな感じだっけというくらいにはまぁまぁ閑散としていて、ちょっと不安になった。(失礼)

 

最初は東寺だった。受付で通行料を払って、大きな樹が目の前に現れた。

不二の桜。無論時期ではないため、深緑の葉ではあったが、庭に突然と一本、人工に支えられながらも枝が垂れている姿というのはなんとも異様で不気味なものだった。

 

 

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少し歩いて、右手に寺が二つあるのを飛ばして庭園の中を奥へ進む。

 

水面に浮かぶ苔?と裂開する水面と鯉。

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東寺の五重塔があった。

茶黒く厳かな重さを備えている。

なんとも奥行のあるものだった。

産まれてから殆ど全てを東京で生活しているために意識にのぼることがなかったが、東京の建物のほとんどは二次元化された平面に張り付かざるを得ない。恐らく都市がそのように見える理由がある。都市のファサードは背景が存在しないというより、すべてが背景化している。つまり建物と建物の間の間隙が殆ど存在しない故に家やビルですら対象ではなく限りなくすべてが背景と化している。無限の情報量は、全てを背景化する。この五重塔だけでなく、京都のいわゆる有名な観光名所といわれる寺や庭のファサードは、巨大なミニマリズムといってもよいと思う。巨大なミニマリスムという言葉を使ってみたが、これは矛盾するものではないと思う。究極的にミニマリスムというのは質量や大きさ、角や奥行きなどの多量な情報量をそぎ落とすことなく、表現することができる。視線の中に対象物が一つ、それしかなければそれはミニマリスムとして成り立ち得る。ミニマリスムというのは本来奇妙なものだと思う。自然は対象物一つ、それしかないということが殆どできない。すべてが背景化しているからである。そういった意味で言えば究極的に都市化(多量な情報量)を推し進めると、人工ではなくむしろ全てが背景となり自然となる。すべてが背景に等しい。対象物が一つあるというのは殆ど人工的に作為的にしなければ現れることがない。それは対象を決めてみるとか、敢えて意図的にそういったことをしなければ現れない。都市はすべての建築物をそのように意味として敷き詰めたが故に、むしろすべてが前面に迫り出し対象が消える。ミニマリスムは一種のシュルレアリスムのように、不気味に背景から対象が浮き上がる。

 

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東寺金堂の中に入り、腰を掛けて、暫くの間、七仏薬師像と左右に仕える二体の菩薩を眺めていた。東寺講堂に移り21体の仏像を見る。

 

東寺を出てから、東本願寺の門を潜ったが、砂利道を歩き通り過ぎる。

暫く歩き、京都駅の方へ戻る。

京都駅 鳥丸口に出た。気分的にはステレオタイプ故に八条口ではなく、烏丸口京都タワー側)に出てようやく京都に来たという実感を得た。(失礼part2)

 

 

14時のチェックインの前に少しだけ時間があったので下の喫茶店でコーヒーを飲み、一息入れてホテルに到着。幾つかの情報があるが気にしないことにする。とても落ち着いていて綺麗なホテルだった。禁煙部屋。

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ホテルは京都市下京区四条通である。

四条通は若者の街ではあるが、雰囲気は東京でいう銀座みたいなものだと思ってもらえばよいと思う。

 

金閣寺の場所を調べて、その方面まで歩く。

何故バスに乗らないのかと言われると、タイミングが合わなかった。何処かで乗れるだろうと思ってずっと歩いていた。

 

途中、少し雨が降ってきてコンビニで傘を買う。店員のおばさんに「雨降ってきた?」と聞かれ、「パラパラと降ってきましたね。」と答えた。「天気予報当たったね。」と言われ、気の利いたことも言えず「そうですね。」というのがやっとだった。お金を払い傘を受け取り「ありがとうございます。」と言って外に出ると、少しだけ雨脚が強くなっていた。

 

四条大宮駅まで歩き、京都で初めて電車に乗る。電車と言っても二両編成の路面電車。車両の前と後ろの二点にしかドアがないため椅子は長い。四条大宮から西大路三条までわずか二駅。降りて再び歩く。ここからが長かった。そのあと益々強くなる雨の中、金閣寺まで歩いた。西大路通は長い。金閣寺まで直線に歩く。緩やかな坂になっている。漸く金閣寺付近まで来て金閣寺の入り方がわからず道を間違える。敷地内に入り少し上を見上げると塀の上から金閣寺鳳凰が見えた。通行料を払う。海外の観光客がとても多く、騒がしかったが、それを抜きにしても金閣寺を観て何か巨大なエネルギーのようなものは感じられなかった。それでも写真にはよくうつっていた。

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上手く写せなかったが金閣寺よりも、その裏に突然現れた「安民澤と白蛇の塚」の方に惹かれた。

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金閣寺から四条烏丸まで再び歩いて戻る。

 

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アオサギが居た。

 

その後は四条通りをうろうろし特になにもせず、17時頃ホテルに戻る。

着替えて祇園を歩いたりしましたが、写真は特にありません。

夜の四条通りで寂しさを得る。

21時頃ドトールに入り休憩。その後も特に何もせず、近くで遅い夕食を取る。再びホテルに戻る。受付にて「煙草を吸えるところはありますか」と伺ったところ「ホテルは喫煙可能な部屋以外は禁煙です」ということだったので、近くの煙草屋で喫む。

再びホテルに戻り風呂に入り就寝。

 

 

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8月16日

 

余り寝付けず8時起床。

銀閣寺」「南禅寺水路閣」「哲学の道」を観たい。

取り敢えず、下の喫茶店に入る。

昨日は相当に歩いたので今日はバスに乗るぞと決意する。

 

四条通のバス停から銀閣寺行きのバスを見つけて乗車する。

バスの料金は230円。

京都の有名な観光名所に行くならば、殆ど230円で行ける。

一日乗車券を買えば500円で乗り放題。

 

銀閣寺道で下車。

哲学の道を歩く。

すぐに終わるかと思っていたが、哲学の道は長い。

哲学の道は民家と公道に挟まれながら続く。

ちょっと行けば終わるかと思っていたので、銀閣寺へ延びる道を曲がらずに進んでみたが調べてみると終わりそうにないので、引き返して銀閣寺へ向かった。

哲学の道の途中、西田幾多郎の詩が刻まれた石に出会う。

  

人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾は行くなり 

 

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西田幾多郎という人がどの年代の人なのかといえば、「ハイデガー」と「フッサール」「ベルクソン」の間に位置する1870年生まれ。つまりハイデガーは1889年であるからハイデガーよりも前の人である。「善の研究」が1911年。「存在と時間」が1927年。

この道の周辺に西田幾多郎田辺元などの哲学者や文人が住まうようになった。

後に西田を中心として西田哲学に影響を受けた哲学者を(新)京都学派と呼ぶようになり、西田はその創始者ということになるが、新カント学派ほどの意味しかない。

西田の「善の研究」を少し捲ると、「統一」「純粋経験」という概念はカントの「超越論的統覚」によく似ている。或いはベルクソンの「持続」の契機としての「統一」。知覚あるいは自己においてこれ以上分割できないものとして置かれている。西田は主/客の対立を嫌う。ここまで書いておいて念のため断っておくと状況はもっと入り組んでいる。また、西田のいう自由とは希望のある状態でもなく、何か非制約的に純粋に自由というのは在り得ないといっている。むしろ没我の状態。寝食を忘れて没頭している状態。そこに没頭しているとき。何らかの対象に無心にのめり込んでいるときこそ自由であるということを書いている。「善の研究」がよいのは、12章「善の動機」と13章「善の目的」である。西田/ハイデガースピノザに近いと思われるが両者共にスピノザの因果を排除しているが、彼らがそこまでいって何故そうなるのかよくわからない。

 

 

それはそれとして、銀閣寺に向かう。

銀閣寺の庭や裏山を含めて、金閣寺よりも銀閣寺の方がやっぱりよかった。

 

銀閣寺に入る。

この写真に写る向月台はやはり不気味だ。

 

 

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庭師さんがダリの絵のあれみたいになっていて気に入っている。

 

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洗月泉

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何か立札があって言及されているわけではないが、この二本の樹はとても印象に残っている。なんなのだろう。明らかに切られたのではなく折れている。

詳細を知る人がいれば教えてほしい。裏山の道の途中に現れる二本の樹。

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銀閣寺のお土産屋さんで冷たい抹茶を飲んだ。 

とても甘くて美味しい。

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この「抹茶愛す」というのも甘くて美味しかった。氷でキンキンに冷やされていた。無糖と甘いのがあったが、無糖が美味しい。坂道の途中のアイスクリーム屋によく売られているっぽい。2日目と3日目に出会い、とても助かった。何れも「高級な甘さ」という感じ。

 

 

銀閣寺を降りて哲学の道を再び歩く。

永観寺に寄った。お寺の写真はないが頗るよかった。

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永観寺の横に居る、「滝に打たれているように見せかけて打たれてない像」

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哲学の道に再び戻り南禅寺水路閣へ向かう。

 

現れた。南禅寺水路閣

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水路閣というからには橋の上は水路になっている。

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