窓を閉める

 

先日の話の続きを書く前にいろいろあったので書こうと思う。

あまり詳しくは書けないが、仕事を辞めようかと思っている。

本当に辞めるかはわからない。僕にはできることが殆ど何もない故に。

もともとこの仕事に何の興味もない。続けていれば何らかのやる気や面白さなどがわかるかと思っていた。そんなものを仕事に求めるのは間違っているのかもしれないが。

多くの場合、知能があればこういったことは段々とわかってくるものらしいが、僕には知能がない。

 

普通の人間にならなければいけないとあの時からずっと思っていた。

私は普通ではない。私は良い意味での普通でない人、つまり、何か特殊な感受性であったり、そういった他の人間にない特別な能力や技能を持っていたり、そういった意味で、良い意味での普通ではない人間だとか、そうは全く思わない。ただただ普通の人間よりもすべての能力において劣っているという意味で、私は普通の人間ではなく、普通の人間になることができないという確信がある。大学などに行けば違ったのだろうか。私は大学に行ったことがない。高校も偏差値は50に満たない高校だった。勉強においてわからないということが本当に苦痛だった。何故わからないのかということがわからない。殆ど多くの場合わからないことはわからないままに死んでいった。わからないことに向かい合う力がなかった。それは今も変わらない。きちんと勉強して大学へ行って文章の書き方を学んで、文献や資料の読み方を学んだり、他者と協力しながら作業をしたり。そういったことが出来ていれば、この私にもせめて少しでも違った景色があっただろうか。そんなことを考えても無意味だ。

 

全てがどうでもよいという気持ちと、何とかしなければならいという気持ちが数分毎に私の部屋の窓から入ってきては出てゆく。数年間この風に晒され続けた感情は気が付けば破裂して部屋に零れていた。私はそれを封じ込める力を持ってはいなかった。そんなのはわかっていた。

 

少しの心理テストと問診。一本の木の絵を描かされるバウムテスト。

例えば、精神科に足を運べば、意図も簡単に適応障害を診断されることが可能である。

どうすればそのような診断を下されるかも知っている。すべてが馬鹿馬鹿しくなり精神科に行った。私は一個の適応障害だそうだ。正直に言えば、こういうことをしてしまう(通常の理性があればこういうことはできることがわかっていてもしないという意味で)こういった自分が恐ろしくて仕方がない。苗字を選んだ18年前のあの時から僕は僕がすでに壊れていることを知っている。

 

喫茶店の誰もいない喫煙室でこれを書いている。

雨粒と外気との差異で曇った窓の隙間で、

濡れぬようにと慎重に、輪郭を失った雨傘が歩いている。

 

今はただ僕のような人間がこれ以上増えないことを、

僕以外の僕のような人間が少しでも幸福の日に当たることができるように祈っている。