エンドレス・ポエトリー / アレハンドロ・ホドロフスキー

 

<ネタバレなのかよくわからないけれどそういうのを避けたいならば読むべきではない>

 

 

「人生なんてお荷物だ」

88歳になっても序盤から暴力と暴力みたいな映像。はりぼての現象と自我の狭間で揺れる、若きホドロフスキー

ビールを普通のジョッキで一杯頼む若きホドロフスキーを横に置いて、「2リットル」といって2リットルのジョッキでビールを豪快に飲み干し「あんたたちはただの無よ」と言い放つ悪魔みたいな孤独の詩人ステラに惹かれながら、アマチュア芸術家集団と詩人エンリケと共に仮面の他者と自我でさえも反射でしかない限界線を破壊する。「詩とは行為である」。従兄弟の家の庭で木を斬り倒そうとすることは、直接的な言葉の使用ではなく、比喩のようであり、それはある種の詩人としての萌芽だったりする。ホドロフスキーの映画の中で一番笑った気がする。何があっても直進する詩人、アマチュア芸術家集団の、超絶ピアニストだといって紹介されたあのピアノをハンマーでぶっ叩いたあとに蹴っ飛ばして破壊して尚、倒れたピアノを打鍵し続けるシーンは笑った。波止場。自分も親父に許すと言いいたい。もし何かの負い目を感じているならば。7歳の時に僕の前からいなくなった、もう生きてるのか死んでるのかもわからない親父に僕もそう言いたい。そもそも僕の中では最後までかっこいい親父だったのだから許すも何もないのだが。「その存在は、完全な光」殆ど形而上学を見ているようだった。はじめてホーリー・マウンテンを見たときの衝撃は今でも覚えている。大好きなゴダールと共に、じいちゃんになっても僕の限界線を破壊する孤独で愉快なじいちゃん。ホドロフスキーに行かないでと止める友人たちのように、開いている柵にしがみつくのはもうごめんだ。