隠された風景
何故、浮浪者が橋の下を好むのかといえば、人目の付きづらい場所であるから、というのでは回答にはならないだろう。まぁ、回答にならないといえば言い過ぎだが、十分ではないだろう。僕はこれに対する一つの提案をしてみたいと思う。
橋を渡る者の目的は、或る場所へと移動するためである。其処には行き先がある程度決まっていて、此方側ではなく橋の向こう側で、或る彼岸である。人間が其処へ移動するには、その橋がなければ不便利であり不都合が生じるから橋が存在している。
橋はその下に在る不都合を省略する。
浮浪者はいつでも世界の反転を祈っている。
彼らの居る場所が橋の上になり、我々が居るのが橋の下になるように。
平和はいつでも戦争で、戦争こそが平和だった。
決して朝から夜になるのではなかった、其処ではいつも夜から朝がやってきた。
浮浪者は常に家の中に存在し、住所は遍在している。彼らの存在根拠は世界である。そして我々が橋を渡るのとは違った風に、そう、浮遊するように、彼らは歩くまでもなく、何時でも既に其処此処が目的地である。
橋を渡るものは橋の真下を見ることができない。見るのは橋の向こう側であり、橋の上から見渡せる"風景"だ。しかし、浮浪者は”風景”ではない。何時もその下に見えないように存在している”隠された風景”だ。
君たちにはきっと、私が見えないであろう。
私は一人の浮浪者なのだから。
隠された風景の上を
君たちは世話しなく
足音の裏側を響かせ
僕らに聞かせる